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2020/03/29

ブローレンヂ智世さん『ワンピースで世界を変える!』の制作をお手伝いしました

📗制作をお手伝いしたブローレンヂ智世さんの『ワンピースで世界を変える!』が出版されました✒️

専業主婦から人脈、ノウハウなしで、
男性も着られるワンピースやスカートを作るファッションブランド
ブローレンヂを立ち上げた智世さんが、
東京大学安田講堂でファッションショーを開くまでの歩みを綴った
起業エッセイです。

私はこの本で、いわゆる「ブックライティング」というのをしました。
ブックライティングは、丸々一冊著者さんに取材し、
構成や文章を執筆するお仕事。

ブックライティングというと、上阪徹さんが有名。
著者に取材し、著者の言葉を噛み砕き、よりわかりやすく伝えるいわば
「本を書く」プロ。
http://uesakatoru.com/

昔はゴーストライターって言って、名前も出ないことが多かったようですが、
今では二人三脚で一緒に本を作るパートナーのような存在として、
目指される方も多いそうです。
https://bookwriter.co.jp/
上阪さんは月一本のペースでお仕事しているそうで、スゴイ・・・。

私はもちろん一人で書き上げた訳ではなく、
智世さんや編集者の小野紗也香さんと3人で、
ああでもないこうでもないと言いながら作り上げました。

今回やってみて、一冊の本を書き上げるって、
ほんと大変だなと思いました。
ちゃんと数えてないけど、多分4万字くらい書いていて、
そんなに長いものを書いたのはほぼ初めてかも。
取材して、テープ起こしして、構成を考えて、資料を集めて、執筆して・・・。
テープ起こしは外注できても、それ以外は私の仕事
書くのは時間がかかるのはもちろんですが、
それ以外の構成を考えたり、資料を集めたり、業界事情を勉強するのがめっちゃ時間かかりました。
執筆は、日本語学校の授業がないときに集中して毎日書いていたので、
1日10時間かもっと。
ずっと書き続けるって、すごく疲れました。
きっと上阪さんだったらもっとスイスイ書けるんだろうな。
一回ならできても、これをルーティーンのようにこなすってできないかも。
本当に尊敬します。

書く上で悩んだことはいくつかあって、いちばんは構成と文章のトーン。
ビジネス書をあまり読んだことがなかったから、
この機会に女性起業家のビジネス書を読んだり、
女性の小商いとか人生に関するエッセイを読んで、類書を探して、
トーンを探りました。
手探りだったので、小野さんとも相談しながら結局3回くらい書き直しました。

それから、業界の勉強も大変でした。
アパレル、女性装、起業、果ては智世さんの勉強していた
心理学の錯視についてなどなど。
全然知らない世界のことを知るのに本を読んだり人に会ったりと、
時間がかかりました。
ちゃんと数えてないけど、参考にした本は20冊以上になると思います。
すると、だんだん智世さんのおっしゃっていることの理解が深まり、
書けそうかもって手応えが得られるようになりました。

最後の難関が表現に関すること。
小野さんから、一エピソードごとに緩急をつけて小説ぽくしてほしい
と言われ、それで頭をものすごく悩ませました。
だって今まで小説なんか一回も書いたことないもの!!
一回もっていうのはちょっと嘘で、
趣味程度では書いたことはありましたが、
そんなの私小説みたいなもの。
自分のことだから登場人物の気持ちはわかるし、話だって自分のこと。
でも、これは違う。
どうやって書いたらいいんだろうと途方にくれました。
描写だって、これまでライターの仕事で書いていたような、
インタビューをまとめたようなものや、説明的な描写ではなく、
映像が目に浮かぶような感じにしなければいけません。

どうやって書いたらいいのか悩みすぎて、ヒントをもらいに
小説家の寒竹泉美さんの小説講座に行ったりもしました。
http://www.sakkanotamago.com/
寒竹さんが、「小説はゼロから組み立てる」とおっしゃっていたことで、
「逆に私は材料が揃ってるから、それを文章に落とし込めばいいんだから
どうにかなるかも」と思って楽観的になれたり。
(小説を書く講座だからこんな感想は邪道だったらごめんなさい)

ちょうどライターの江角悠子さんもいらっしゃっており、
お互いブックライティング中で励ましてもらったりしたことも
今は懐かしいです。
ttps://w-koharu.com/
ちなみに江角さんが手がけられた『亡くなった人と話しませんか』という本は
一足早く刊行され、大ヒット中だそうです。

智世さんの気持ちを想像したり、行ける場所には行ってみたり、
どうしてもわからないところは改めて智世さんに取材したりしながら、
なんとか形にしました。

そこからさらにまた3人で文章をブラッシュアップ。
こうしてできたのがこの本です。
こんな風に本を作るのは初めての経験で、
本って、著者の名前は一人でも、
その裏には多くの人の力があってできているんだなって改めて思いました。

すごく大変だったけど、いろんなことが知れたし、
長い文章を書く経験にもなって、
本当にお引き受けしてよかったなと思います。

機会があったらまたブックライティングにも挑戦してみたいな。

興味持たれた方はぜひこちらから。試し読みもできます。
https://www.sogensha.co.jp/productlist/detail?id=4064

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2020/03/29

好書好日に「 hand saw press KYOTO」に行った記事を書きました

京都のリソスタジオhand saw press KYOTOの小田晶房さんにZINEやリソグラフの魅力、リソスタジオでどんなことができるのか聞いてみました〜。

一緒にZINEを作ろう! 京都のリソスタジオ hand saw press KYOTOに行ってきた。

https://book.asahi.com/article/13200098

そして、小田さんは河原町今出川の「山音食」というお店で、
火曜水曜ベジ食堂を開いているそう!

プレート2種あって、ひとつは毎週ガラリと変わります。
また、もう1種のエスニックプレートは、月替りで4月はタイか北アフリカの
ベジ料理が食べられるそうです。
ちなみに写真は3月のエスニックプレートで、インドネシア風のベジ料理でした。


ボリュームたっぷりでベジ料理と思えない濃厚な味付けで大満足です。

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2020/03/29

京都造形芸術大学のウェブマガジン「アネモメトリ」3月号に記事を書きました

2月号に引き続き墨田区千歳の喫茶ランドリーのあり方から、自分でつくる公共について考えます。
https://magazine.air-u.kyoto-art.ac.jp/feature/8020/

代表の田中元子さんのこちらの言葉が印象的でした。

“おせっかいって、自分だけがよければいいってことじゃなくて、あなたも幸せじゃないとわたしも安心して幸せになれないってことだと思うんです。”

前号と一緒にどうぞ。
https://magazine.air-u.kyoto-art.ac.jp/feature/7893/?fbclid=IwAR3z_Tv2928Upy6VOyHmd-ofuHTxrxLK8F3N0fy6H3ws2aJaaUit1rzJl_s

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2020/03/28

ZINE作ってみたよ!

野中モモさんの『野中モモの「ZINE」 小さなわたしのメディアを作る (シリーズ日常術)』って本がすごくよかった。

ZINEっていうのは、個人が発行している少部数の自主制作の冊子や本のことだそう。
ちゃんとした本じゃなくても、ノートにペンで書いたのを
コピーしてホッチキス留めただけでもいいそうだ。
手渡しや交換で広まっていく個人のメディア。

うちにいて辛いとか、気持ちが暗くなる人もいると思う。
そう思うと居ても立ってもいられなくなった。
自己満足かもしれないけれど、
少しでも毎日を楽しく過ごす知恵をシェアしたい。
そして、少しでも小さなつながりをつくって、励まし合いたい。
思い切って外出できるときが来るまで続けたいと思います。


読みにくいかもしれませんが、
ネットプリントはコンビニに行かないといけないし、
実物配布は外出のリスクがあるので、
写真をブログにあげていきます。
みなさんの知恵や体験談を教えてください。
物足りなかったら、自分でつくってみてください。
どうにかこの日々を乗り切りましょう!

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2020/02/19

「いくつもの声とともに ― 書く、訳す、物語る」温又柔さん×栢木清吾さんトークイベントに行ってきました


イベントは温さんの「わたしの名前は導火線」という文章の朗読から始まった。
https://www.happano.org/on-yuju

この文章は、温さんの名前について書いたものだ。
温さんの名前の読み方は、日本語では「おんゆうじゅう」、中国語では「オンヨウロウ」という。
温さんの声は高くてとても澄んだ声。温さんは東京育ちだから、とてもきれいな標準語のアクセント。
でも、温さんの声で聞いた中国語の温さんのお名前は、歌のような響き。


日本語は2拍のリズムで平板な言葉、中国語は4声があって濁音がない音楽みたいな言葉。
温さんの声で温さんの響きで響きもアクセントも違う二つの言葉が発音される。
同じ人の声で、よく知っている耳慣れた言葉が、中国語読みになるときそこだけ知らない言葉になる。
そのとき、二つの言葉の世界を行き来して生きてきた温さんの言葉の世界が、ぶわって押し寄せてきてきた。


正しい言葉は一つしかないと思っていた。
自分がカナダに行ったり、日本語教師の勉強をして、そうじゃないのはだんだんわかってきた。
http://kokeshiwabuki.hatenablog.com/entry/2017/10/04/145940
日本に住んでいると「正しい日本語」を使わなければいけないという規範をとても強く感じる。
だけど、温さんのようなさまざまな言語の世界で育ってきた人の話を聞いていると、
そうじゃないということが実感もって伝わってくる。


例えば、温さんのお母さんはときどき日本語を話すとき、
中国語の表現がまじって、「電気を開く」とか「空が黒くなる」と言うことがあるそうだ。
こういう、元の言語の影響を受けるのは「母語の干渉」という。
英語でごはんを食べる動詞は「have」だけど、「食事をとる」という日本語から 「take」を使うのがその例だ。
だけど、それは日本語の表現を豊かにしているとも受け取れないか、と言っていた。

栢木さんは、日本語で漢字の読みがいろいろあるのは、中国のいろんな時代の読みを取り入れているからで、「日本語自体複雑な来歴をもった言葉だ」と言っていた。
また、移民一世はたいがい言葉で苦労する。
「訛り」が仕事や生活のハードルとなり、ときには命を脅かすこともあるという。
外国語だけでなく、日本語の中でもそれはある。
司会の佐藤靜さんは秋田の人で、旧西成瀬村では都会に出て苦労しないように標準語教育が行われていた例を教えてくれた。
http://nishinaruse.sakuraweb.com/kotoba/hojo01.html



わたしは、若いころ自分の訛りが恥ずかしいと思っていた。
わたしの地元の島では漁村と農村で言葉遣いが全然違う。
島の場所でも、例えば北と南では全然違う。
しかも、平安時代や昔の古い言葉が日常語として残っている。
祖父母はそういう古代の香りが残る言葉を話していた。
でもうちの外に出ると、年寄りの使うそういう言葉は通じないこともあって、
標準的な地元の言葉に寄せて話した。
進学で島の外に出ると「訛ってる関西弁」と言われるのが嫌で、標準的な関西弁に寄せて話した。
東京に出ると「関西の人?」と言われるたびに気後れして、関西弁自体も話せなくなった。
今思うと、「訛っている」と言われることが、自分が異物である、標準からずれていると言われているようで、いたたまれなくなっていたのだと思う。
自分にとって、新しい環境になじもうとする努力が、言葉を身につけることだったのだろう。

今思うとなんだか悲しいことだ。
恥ずかしいことではなかったのに。
でも、そうしていたのは、「正しい日本語」がどこかにあって、それを身につけなければいけないと思っていたからだろう。



そういえば、カズオ・イシグロさんがノーベル賞を取ったとき、こんなブログを書いた。
http://kokeshiwabuki.hatenablog.com/entry/2017/10/10/135906

お名前を出してないが、この文章で「台湾生まれの作家」と書いたのは、温さんのことだ。
この文章で、一つの国の中に、さまざまな来歴をもった作家がいてその国の言語で文学を書くことについてこう書いた。

「それは純粋さが失われる悪いことじゃなくて、いくつもの文化が混じり合って新しいものを生む土壌を作る、とても豊かなことだと思う。

だから、日本人や日本生まれの人以外が書いたり、日本人や日本生まれの人が他の言語で書くことも、日本語の表現や考え方を豊かにしていくことだと思う。」



今回のイベントで、それは文学だけに留まらず個人にも言えることだと気づいた。

人にはそれぞれ受け継いできた言葉の歴史があって、それは地層になってその人の言葉の中に受け継がれている。

訛りは恥ずかしがることじゃなくてその人の受け継いできた言葉の歴史だ。
人にはそれぞれ言葉の地層があって、それはその人独自のものだ。
自分の「言葉の地層」を大切にし、互いの「言葉の地層」を尊重し合うことで、言葉はもっと豊かなものになっていくはずだ。