書いてみたけど


2020/01/30

小説って今まで全然書こうって思わなかったし、書けるとも思ってなかった。
4年くらい前に自費出版の方の『愛と家事』を読んだ友達に、
「一人の女性の人生をいろんな視点から語ってて、そこに社会状況も描かれているような小説なら、太田さんも書けるんじゃないの?」って言われて、そのときはピンとこなかった。


けど、そのあと村上春樹の『職業としての小説家』を読む機会があった。
村上春樹は神宮球場で鳩を拾ったときに、「小説を書こう」と思ったらしい。


「へ〜、小説を書くきっかけってそんなのでいいんだ。
じゃあわたしも書けるかも」

きっと村上春樹のことだから鳩だって何かの比喩かもしれないけど、
そのエピソードをそのまま受け取ったわたしは、無謀にもそんなふうに思った。
というのも今までわたしは、なんとなく小説って、才能があるとかめちゃめちゃ書きたい人しか書いたらダメなんだと思っていたから。
なんか自分はその資格がないように思っていたのだ。
だけど、村上春樹が、そんなふうに小説を書こうと思ったんだったら、
わたしも書けるかもしれないと思った。


それで、そのあと書いてみた。
『愛と家事』に書けなかったことがいっぱいあって、それを形にしたくて、
私小説だったら書けるかもと思ったのだ。
とりあえず書けたので、「小説を書けるんじゃない?」と言ってくれた友達に見せてみた。
けど、「太田さんのは直接的すぎて小説って言えないんじゃないか」
って言われて、なるほどと思って、それはそのままお蔵入りにした。

話は変わるけど、『82年生まれ、キム・ジヨン』がすごいおもしろくて、
読んだ時、その友達が言ったのって、こういう小説のことだったのか!
と思った。
キム・ジヨンは構造がややこしいとか、
文体が独特って小説じゃなくて、データとか社会状況とかが織り込まれてて、
論文とか社会批評とかを読んでいるような気分になった。
でもキム・ジヨンの置かれた状況の大変さや、悲哀が感じられ、
それが韓国の女性の状況をよく表したものだとわかった。
また、この話がキム・ジヨンカルテとして書かれているという設定もすごい面白かった。


日本の小説ってまずは文体を作れって言われるけど、
キム・ジヨンはそうじゃないように見えて、(翻訳の問題でそう見えるだけかもしれないけど)そこもよかった。
日本でも、時々、凝った文体じゃなくて、一見淡々と一人の人生を描きながら、
壮大な物語になっているような小説がある。
そういうのだったら書けそうな気がする。
そういう小説もっと読んでみたいし、いつか自分で書けたらいいな。
いいのがあったら知りたい。

     

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