ふつうの中で自由になる

迷走中でも書いたように、本出してから自分が作家方面に行った方がいいのか、
編集とかライターでやっていった方がいいのか迷っていた。
ちょっと仕事の棚卸しをしたくて、似た分野で仕事しているSさんに相談した。

わたしの悩みは制作物の分野がとっちらかっていて、一見何をしている人かわかりにくいことだった。

でも、Sさんに今はいろんな人がいて好みや志向が細分化されている時代で、
万人に刺さるキャッチーさが何かわからなくなってきているから、
無理にキャッチーにしなくてもいいんじゃないか、と言われた。

また、太田さんのやっていることは一見わかりにくいように見えるけど、
全く筋が通ってないわけじゃない。その中でも共通性があって、
あえて言うなら「ふつうの中で自由になる」みたいなことを目指しているように見える、と言われた。

「ふつうの中で自由になる」っていうのが、すごくしっくりきた。
それは、例えば働き方に疑問を感じていたとして、
メディアで取り上げられがちなのは、いきなり起業とか地方移住とかフリーランスって感じだと思うんだけど、わたしはそういう人よりも、ちいさな工夫を積み重ねながら、よりよいやり方を探しているような人に興味がある。

たぶんそういう営みはちいさいし、地味だからメディアに取り上げられにくい。
だけど、わたしは、いきなり大変革とか制度から降りるっていうのは難しいと思うから、そういうちいさな積み重ねを少しずつ真似したり、自分の生活に取り入れる方が、失敗も少ないし現実的だと思う。
だからそういう人にフォーカスしたい。
そういう考え方に、「いろんな人が自由になる過程を見せることで自由になってほしい」って思いを感じると言われた。

わたしはこれまで、マジョリティとマイノリティって、上の図みたいに、
大多数のマジョリティVs少数派のマイノリティってなっていて、
それは交わらないものだと思っていた。

でも現実っていうのは、こういう部分もあるけど、そうじゃない部分もある。
それぞれの円は同心円状になっていて、境界はもっと曖昧でグラデーションになっていて、一人の人の中にマイノリティの部分とマジョリティの部分がある場合もある。
実際は、マイノリティよりのマジョリティやマジョリティよりのマイノリティがいて、一つの円の中でも、ガチマジョリティっていう人とマイノリティよりのマジョリティの人っていうふうに、それぞれの円の中で温度差がある。


そういう現実の中で、自由に生きたり考えたりしようって思うと、
「ふつう」をぶっこわすとか、マジョリティをぶったおして
マイノリティがマジョリティ並に大きくなるってやり方じゃうまくいかない。
それよりも、少しずつ円の交わる境界をなめらかにしていくとか、
自分の中にマジョリティの部分とマイノリティの部分があるって、
人に気づかせることが大事になるんじゃないかと思う。


たとえば、働き方の例だと、週5会社員みたいな働き方は「ふつう」とされているけど、しんどい。
だけど、いきなり田舎に行ってお金を使わないで生活するような人はあんまりいない。
「ふつうの中で自由になる」っていうのは、その間をつなぐ働き方を考えるようなことだ。


この間をつなぐような活動は地味だったり、分かりにくかったり、本人も自覚していなかったりして、伝えにくいからなかなかメディアに乗りにくい。
バリバリマジョリティな人もバリバリマイノリティな人もそれなりに居場所やメディアがあるんだけど、この間ってどっちにも違和感あるけど言語化しにくいらそんなに可視化されていない。


これから、わたしは「ふつうの中で自由になる」っていうことをもっと意識してものを書いたり作ったりしてみたい。
どんな形のアウトプットにすればいいんだろうな〜。