100%の自分でやってみる

12月16日に友達のうちで短歌を読む会(詠むじゃなくて読む)っていうのがあった。
参加者の1人のNさんという方がポールダンスをしていて、発表会の話になった。

彼女の舞台を見た友人のEさんは、「ほかの人たちは技術があるけど、何か技を決めるとか、人に誉められたいみたいな動機の方が強くて、だけど、Nさんがは何かを表現しようとしていて、他の人とは抜きん出ていた」と言っていた。

そのとき、同じ場にいたIさんに、「太田さんは前者の方だよね」と言われた。
わたしは瞬間で頭にきて、考えもなしに反論して、反論しながらわけがわからなくなって半泣きになっていた。
自分がただの目立ちたがりで、本が売れないのは中身がないからだと言われているみたいだからだった。



そのあと、「表現する側に立つとはどういうことか」みたいな話になった。
Eさんに「とても短歌が好きだけど、自分は短歌の才能はないと思ってやめてしまった。だから、そんなふうに太田さんが自分の作品に自信をもっていて、何か言われたら言い返すっていう姿勢はすごく眩しい」というようなことを言われた。
わたしも急に大きな声を出してしまったことを、その場のみんなに謝って、その日はお開きになった。


その日のことを反芻して考えているうちに、自分の中でものすごい勢いでいろんなことが繋がって、作家になりたいという気持ちが止まらくなって、収まらなくなってしまった。

https://editota.com/2019/12/19/%E4%BD%9C%E5%AE%B6%E3%81%AB%E3%81%AA%E3%82%8A%E3%81%9F%E3%81%84/



わたしは今まで創作する側になりたいと思っていたのに、それをすごく早い段階で蓋をして、違うことをしようとしていた。
表に出たい、舞台に上がりたい側の人間のくせに、そっち側の人間になるのは大変だし、なれそうもないとやる前からあきらめていた。
それに、出たら何か言われるし恥ずかしいからと思い込んで、自分で自分に裏方の方が向いている、サポート側の人間だと言い聞かせて生きてきた。

だけど、本当はそうじゃなかった。

これからは、もっと自分の名前で文章を出して、それでやっていきたい。
今まで自分のことを編集者とかライターだと、陰に隠れて満足だと思っていたけど、そうじゃなかった。
もっと自分の名前でやっていきたい。

自分100%で生きるなんて、過ぎた望みだと思っていた。
そんなことができるのは限られた一握りの人だと思っていた。
だから世間に合わせて生きないといけないと思っていた。
出しゃばり、目立ちたがり、気が強い、我が強い、わがまま、ミーハー、お調子者。
わたしの性格のそういう部分は全部押さえつけて、
世間の望むように、従順で大人しくて気がきいて素直で思慮深い人間にならなければいけないと思っていた。

やってるうちにうまく演じられるようになったけど、本性ではないし、
自然にできるわけじゃないから、ときどきお芝居が変じゃないかと周りを見渡して比べたり、自然なお芝居や上手なお芝居の人と比べて息苦しくなったり、
お芝居の上手な人やしんからそういう性格の人に対してよくわからない怒りやむなしさを感じて、自分の感情に振り回されることがあった。

だけど、その短歌の会で言われたことや、
以前作家の小野美由紀さんに「我が強いって悪いことじゃない」と言われたことで、作家にとってはそれらはどれも好ましい資質なのだということに気づいた。


わたしはこれからも自分の人生でずっと下手なお芝居うって、
うちながら自分は三文役者だ、どうしてこんなにやってるのに三文役者にしかなれないんだって、のたうちまわるのかと思ったら耐えられなくなった。
看板役者になりたかったけど、何が足りないんだろうと思っていた。
でも、完全に演じる役も出る舞台も間違っていたことに気づいた。

だからもっかい一からやる。

自分のありのまま100%で生きることができるかどうか、
世間にわたしのありのままを書いて、それで通用するかやってみたらいいんだ。


一回だめでも二回やる。

二回だめでも三回やる。

三回だめでも十回やればそのうち一個はどうにかなるはず。

何者にもならなくったって、いい。
ただ、ずっとやってたらいいんだ。

こないだ取材した青木海青子さんの『彼岸の図書館』に「あいつ、給料出なくなっても図書館やってる」という一節があった。

「あいつ、まだ書いてる」

まだやってる、やりつづけるのが大事なんだ。

わたしはスタートが遅いから、なんせ37歳からだから。
激おそで、いつものになるかわからないけど、人生100年時代で言ったらまだ63年もある。
物事はなんでもいい面と悪い面がある。
だったら、やぶれかぶれってわかっているけど、無理矢理でもポジティブにとらえたい。


自分を押さえつけて生きるのは一回終わりにする。
わたしの、全部直さないといけないと思っていた性格も、資質も、まずはいったん肯定したい。
37年自分を否定してきたから、一回全部すべてまるごと肯定したい。

だけど自分全肯定で生きれるほど甘くないっていうこともわかっている。
こういうことを大声で言うと、ある人には反感を買うだろう。
そんなに甘くないと言う人もいるだろう。
書いたものがけちょんけちょんに言われることもあるだろう。

前の本だっていろいろ言われた。
恵まれてるのに。環境や人のせいにしているだけ。自分の才能とか努力が続かない弱さを何かのせいにしてるだけ。今やってることから逃げてるだけ。


そんなん自分がいちばんよくわかってる。
わかってるけど、どうしようもないから書いた。それに、わたしはそういう葛藤が人生って感じがするし、人間らしくていいなって思う。
まあ、でもそういう葛藤を見せられていやがる人がいるのもわかるけど。それも人間らしいって思う。

批判されてもそれがときどき思いもよらないところまで飛んでいって、誰かの心に響くときもある。
だから書く。

わたしが書きたいんだから書く。
自分100%で生きるのは0か100かの世界だ。
めちゃくちゃフィットするか、嫌われるか。その間はいないのと一緒で意識されないってことだから、ない。
それはものすごく厳しくて、耐えられないかもしれないけれど、それでもいいんだ。
やってみる。

新年から、
いや、
今日から、
なんて言わずに今から、
100%の自分でやってみる。

まずは自分が書きたいもの書く。
読みたいものを書く。
自分を満足させられるのは、まずは一番に自分だ。


わたしは自分を鼓舞するために書いている。
わたしは自分の文章を読んで、いつも奮い立つ。
だからまずはわたしは自分のために書く。


もっと上手になったり、気持ちが変わったら人のために書くかもしれないけど、でも、今はそこからしか始められない。
それは自分のキャパの小ささと球数の少なさゆえの開き直りだ
批判する人もいるだろうけど、今はそういう人の言うことは聞かない。
成果が出るまで長い目で見てもらうしかない。

わたしはいったん自分を全部肯定した上で、
そこから始めたい。

産まれ直した気持ちで、
そこから始めたい。